とるにたらないこと

できるだけ正直に、ありのままに書きます

素直になること

「斜に構える」

という言葉は否定的なニュアンスで使われる事が多いが、対人スポーツは基本的に斜に構えるのが攻撃にも守備にも最適なので、人間関係も同じだと、ここ何年か知らず知らずのうちにそうやってきた。相撲くらいか、真正面構えてぶつかっていくのは。人と人ががっつりぶつかるのは、関取くらいの体格を作っとかないといけないってことで、常人には耐えられるもんじゃないんだと思う。

さらっとかわしたり、素早く踏み込んだり、一歩引いたり、どんな球にも対応したり、守備から攻撃にすぐ移れたり、斜に構えてるとなかなか便利だ。

 

ここのところ、身につまされるアドバイスで「人とちゃんと向き合いなさい」と言わる事が多く、言われるたびに心が痛かったんだけど、でもやっぱり、まっすぐ真正面に向き合うとか、現実的じゃない気がする。

 

ただ水泳や、長距離走など、対人ではなく、自分の記録や目標を目指すスポーツは違う。自分の目指すところへ向かうことに関しては、斜に構えず、しっかりと正面を向いて進んで行かなければならない。最近マラソンをやっている人と出会った。そういう実直な競技をしている人を目の当たりにすると、美しいな、と思った。そしてこれを生き方に置き換えてみると、自分の今までのやり方を少し省みてみないといけないと思う。

 

「どうせ私なんか」「そんな大したことじゃないし」「そんなもんかな」「そこまでするほど好きじゃないし」

ずっとこうやって、照れ隠しみたいに色々な言い訳をして、本気で何かを突き詰めて、達成して、大きなことを成し遂げることを諦めてきた。大事なものを手に入れることが出来なかった。斜に構えて、傷つきたくなくて、ひねくれて、勝手に拗ねていた。

 

「ちゃんと向き合いなさい」という指摘は、この事を言ってくれていたんだなあと思う。

だから対人関係も、ちょっとやり方を変えてみる事にした。がっつりと真っ直ぐ組み合わないにしても、相手をしっかり見ること、受け身で防御に徹するだけでなく自分から仕掛けてみること。

それから、相手もこっちを向いている生身の人間であるという当たり前のことを私はすっかり忘れていた。斜に構えるなんてレベルの問題ではなかった。勝手に怯えてささくれだって傷ついて、ハリネズミのように尖っていたなら、生身の人間はどうやったって手出しできないに決まっている。相手だって亀のように無言で固く丸まるしかない。何も言わない相手とは、何も交わせない。

 

人生のほとんどのことは人と人との関わりで成り立っていて、だからそうやって上手く人と交わすことができなかった欠落は、大きな損失だったと思う。大切な人にほど失いたくないがためにより慎重になって、本当に言いたいことを言わずにこれまでやってきた。だけど、その結果はより拗れた末に大切な人を失うことになったし、自分も失うことにもなってしまった。

 

そういうことはもうしたくない、という考えのもと、最近は思ったことを、相手の様子を見ながらできるだけ早めに言うことにした。このことがとても良いように働いている、と感じる。相手にも、自分にも、双方の関係にとっても。

 

ほんの少しのズレや違和感が煮詰まって不満になり、醗酵して不安になり、異臭を放って耐え切れなくなって蓋をして、入れ物がドロドロの思いの汚物で一杯になってからではなにもかもがもう遅い。少し言い難いけど、少し気まずいけど、少し恥ずかしいけど、の段階でさっさと口にだしてしまえばいいのだ。

 

よそで愚痴を言うよりも、当事者以外に相談するよりも、本人にさっさと言ってしまえば、一番気持ちよくて、一番早く解決する。それに、嬉しいも、楽しいも、大好きも、ありがとうも、同じように、面と向かって素直に言いたい。私、素直になりたい。

(ここまでたどり着くのに遠いなあ…)