とるにたらないこと

できるだけ正直に、ありのままに書きます

美容室のお姉さんのこと

うちの前の美容室のお姉さんが好きすぎる。

 

これまで私は美容師が嫌いで、ホスト、ジャニーズ、DJ、バンドマン崩れ、パチンカスと並ぶ最低な人種だと確固たる偏見の目を持っていた。

 

適当な営業トークには辟易するし、たくさんのお客さんを見てきたと自負しているらしい美容師は「人を見る目がある」とか自惚れていて、そのくせ一度、私の容姿を見て「ニューハーフの方ですか?」などと非常に失礼なことを半笑いできいてきたことがあった。悲しかったのは、腕を信頼していて何度か担当をお願いしていた中年男性店長が、ある時「病気で身体を壊してしばらく店に出られない」と他の店員さんから説明され、とても心配していたのに、実はそれは方便であったことだ。実際は、同じ店の若い子と不倫をしていたことが発覚し、オーナーである奥さんから店に出ることを禁じられていたらしい。この真相を遠くからの噂話で知って、やっぱ美容師って信用ならないわ、と思った。他にも、犬好きトークで盛り上がったら、実は犬を虐待していたことが分かったこともある。

 

さらに悪いことに、あいつらは女が髪の毛を触られることがいかに気持ちいいかを熟知した上で、本来の仕事である髪型を整えることをおろそかにして主導権を握ってくる。本当にあいつらは質が悪い。ネガティブな言葉をインターネット上に発することは良心が咎めるが、本当に、はっきり言って、あいつらは大嫌いだ。

 

親しかった中学や高校時代の同級生が美容師になった、と聞いた数年後には、身体を壊して退職したという報告を受けるので、まともな人間は美容師なんかやってられないんだと思う。これが私にとっての美容師に対する個人的な考えだった。

 

 

美容室で本を読むことは、最も時間を合理的に有効活用できる手段で、それが心地のいいひとときであれば良いと願う。

これまでの美容師はたいていワンピースが好きで(好きな方失礼)、私がどんな本を読んでても自分のフィールドであるワンピースと絡めてくることが気に入らなかった。私は本を読むことが好きで、でも人に語れるほど何も詳しくもなく、手に取る本はその時々の興味によってまちまちだ。江國香織のエッセイであったり、森達也のオウム関連のドキュメンタリーであったり、レンタルコミック屋でどっさり借りてきたはじめの一歩であったり、ビックコミックなどの漫画雑誌であったり、イスラム教の解説書であったりする。だから私は、私が一体何を読んでいようが、無関心であってほしい。本のタイトルから会話を広げられるほどの知識も話術も、あいにく持ちわせていない。

 

うちの前の美容室のお姉さんは見事なくらいに無関心だ。無関心なのに、それは冷たい素振りでなく、許容してくれる感じが最高に心地良い。

 

お姉さんがたった一人で商うその美容室は必要以上に広く、客は必ず一人で、もしもあのお姉さんでなければその空間や時間を気まずく持て余すことになりそうなのに、あんなに居心地のいい美容室を私は他に知らない。

 

はじめてその美容室を訪れた日、無言でドサっとはじめの一歩をカット台の脇の小さなテーブルに積み上げたことに、彼女は顔色一つ変えなかった。「漫画がお好きなんですか?」とさえも言わなかった。だから私ははじめの一歩を楽しむことができたし、彼女は彼女で私の髪を切ることだけに専念してくれた。お互いにずっと無言だったけど、無言の信頼感があった。

 

カットだけのなのに、彼女はたっぷりと3時間もかける。早さや効率や、お客さんの回転率や、華麗なテクニックなんてお構いなしで、彼女は彼女の仕事だけにきちんと集中してくれる。カットとカラーを一度にお願いした時は、それぞれ3時間づつ、計6時間も彼女はひたすら仕事に没頭してくれた。

最初の3時間でカットを終えたあと、彼女は私の衣服や髪の毛からタバコに匂いについて「タバコ、吸わはりますよね?」「店内では吸えないんですけど、うちの店の隣、タバコ屋さんで外に灰皿あるんで、よかったらそちらで休憩してきてください」「その間に私、カラー剤混ぜてるんで」と少しぶっきらぼうに、気を利かせて言ってくれた。彼女の言葉に従って店の外でゆっくり2本タバコを吸って店に戻った。店ドアを開けて、何か彼女に声を掛けるか、彼女が声を掛けてくれるか、一瞬迷ったけれど、一心不乱に私のためにカラー剤を調合してくれている彼女の様子を見たら、邪魔したらいけないな、と考えなおして無言で静かに席に戻ることにした。

 

彼女の手によってすっかり整えられた新しい髪にドキドキしつつお会計を終わらせたあと、彼女は「たくさん読めましたか?」と簡単に言って、とても可愛く微笑んだ。これが異性だったら間違いなく恋に落ちていたと思う。

 

 

彼女を好ましいを思うのはほかにもたくさんの理由やエピソードがあって、語りだすときりがない。とにかく私はうちの前の美容室のお姉さんが好きで好きでたまらないという話がしたかったのです。