とるにたらないこと

できるだけ正直に、ありのままに書きます

海のこと

私の過去を打ち明けるのに、最も詳しく語らないといけないのは、カイという友人のことだ。なのにこれまで私はほとんど一度も、親しい友人や、恋人にカイのことをきちんと話したことがなかった。なぜなら友人に対してはあまりにカイの存在自体が非現実的過ぎたし、彼と過ごしたあの日々をどうしてもうまく言葉にして説明することができなかった。

恋人に対しては、必ず嫉妬されるとわかっていたから。カイのことを語るには、私の言葉が熱を帯びてしまいすぎる。

 

まず正直に言っておくと、私はカイの事が好きで好きでたまらない。カイと10年以上も前に別れてから一度も会っていないにも関わらず、ひどく酔っ払った夜は必ずカイのことを思い出した。

ただ、なぜ私がこんなにもカイのことを好きなのかというと、彼と私の間には一欠片の恋愛感情もなかったからであって、さらにちゃんと説明しておかなければならないのは、一切の肉体的つながりもなかったことだ。お互いに一切の利害関係が無かったからこそ、あれほどまでに正直に自分たちのことをさらけ出すことができ、忘れられない人物になり得たのだと思う。

 

 

カイと出会ったのは16歳か17歳の時、オーストラリアのワーナンブールという小さな海沿いの町で、私はオーストラリアの別の学校からの転校生、カイは青森から来た留学生だった。異国の片田舎で出会った若い男女は、いろいろな事情がいくつも偶然的に重なって、すぐに一緒に住むことになった。

 

私がカイと住むことになったと知ったクラスメイト達は、みな私に同情した。転校してきていきなりカイみたいな変わり者と住むなんて大変なことになったね、と。

 

カイの第一印象は「100年生きた人」だった。

 

重たい一重まぶたの細い目、一度も染めたことの無いであろう真っ黒な髪。「七三分けにしたら似合いそうだ、それに古臭いバブルっぽいスーツも着てみてよ」と言ったら、小学校の頃のアダ名は「とっつあんだった」といって照れたようにニヤリと片頬を上げる独特の表情。

 

彼の最大の美点は動じないことだった。いつも、周りで何が起きても、何を言われても、カイはカイだった。

 

二人が住むことになったホームステイ先は「ミニョン」という名のお母さんと「ジェームズ」「ウィリアム」という小学校低学年の男の子二人の半母子家庭だった。ときどき不意に帰ってくる、ハンサムでミニョンよりはるかに年下の若い旦那さんがいたが、旦那さんは私の記憶の中では不在で、家族がきちんと揃ったところは結局一度も見たことがなかったように思う。こちらにもそれなりに混みあった事情があった。

 

末っ子のウィリアムには軽度の発達障害があった。ひどく甘えん坊で、夜は一人で寝られないと。僕が眠るまで、僕が眠っても、ずっとそばにいて、と懇願し、おかげで私は毎晩ウィリアムのベッドルームに何時間もいることになった。ウィリアムは母親であるミニョンの愛情を独り占めしようとしていたが、分別ある母親の、兄弟で平等な愛情に、いつも不満気だった。

 

兄のジェームズは、子どもであるということを存分に利用した弟の甘えっぷりを間近で見ていたせいか、ジェームズ自身も同じ年端もいかない子どもという身分でありながら、いつもお兄ちゃん然としていた。それが健気で痛々しかったし、彼の魅力だった。父親似でとてもハンサムな子どもだった。

 

その上にもあとふたり、16歳と18歳の大きな男の子がいたのだが、ふたりとも10代半ばで家を出て都会で自活しているときいた。さらに、まだ離婚が成立していない旦那さんが10代だった頃に、別の女性との間にもうけ、養子に出したという、20代半ばになる娘が遠く離れた地にいると明かされたのは、ミニョンがワインでひどく酔っ払った夜だった。

 

ミニョンはヘビースモーカーで、未成年だった私達に一度だけタバコを勧めた。私たちは留学生だからそういうことをすると帰国させられる、と断ると「いい子たちね、タバコは一生吸わないほうがいい、これは大人からの忠告だ」といってまた一口吸った。

 

 

脛に傷を抱えた者ばかりが暮らす家だった。

 

 

 

この家は日本では考えられないくらいの豪邸だった。私のプライベートルームには個人のシャワールームとトイレがあった。芝生の広い庭にはプールとトランポリン、一枚岩の大理石でできたキッチンカウンター、30畳はあろうかというプレイルームにはビリヤードまであった。

 

私とカイと、ウィリアムとジェームズは、よくプレイルームで当時最新だったNintendo64マリオカートで遊んだ。一番下手なのはもちろん末っ子のウィリアムで、先を走る私達に、決まって「wait for me」と言って半泣きになり、みんなを困らせた。優しいのはジェームズで、コントローラーを置いて、走るのをやめて弟を待ってあげていた。先にゴールしていた私とカイはその様子を見ては、腹を抱えて笑った。

 

 

 

私とカイが共有したのは異国での夜だ。マリオカートで遊んだのと同じプレイルームで、子どもたちが寝静まった後、当時から夜型人間だった私とカイは、夜が更けるまで、決してここでは言えないような秘密を打ち明けあった。カイのトラウマ級の初体験のこと。カイがやっていた奇妙な宅配アルバイトのこと。お互いにどんな子ども時代をおくったか。日本に対してどんな違和感を抱いていたか。ずっと自分が異質だと感じていたこと。

 

ある夜「どうしてカイはそうなの?」と「まるで100年生きた人みたいだ」と素直に感想をぶつけたことがあった。カイは両肩を持ち上げ、手を広げるジェスチャーで「さあ?」と言い、またあの顔でニヤリとしただけだった。

 

またある夜は、ミニョンが私とカイだけに、夕食の後片付けを終えたキッチンで、身の上話をしてくれた。ミニョンの悲しそうな、諦めを含んだ大人特有の表情にも、カイは相変わらずカイだった。

 

カイは映画が好きだった。

 

カイはBon Joviが好きだった。

 

カイの目は皮肉を言うとき、一瞬いたずらっぽく光った。

 

カイはジョークを言う時は必ず英語だった。

 

カイは青森出身にもかかわらず、私の前で一度も青森弁を使ったことがなかった。

 

カイは友達がいないと言った。私を友達だと思ってくれていたのかは、未だにわからない。

 

 

 

私はある事情で、カイよりだいぶ早く帰国しなければいけないことになった。それはあまりに突然で、帰国が決まってからはあまりに慌ただしく、帰国までの夜をカイと共有した記憶は無い。

 

別れの日、朝早くに学校の先生が車で迎えに来た。玄関先で、ミニョンに心からの感謝を伝え、柔らかい身体にしっかりとハグしてふたりで泣いた。ウィリアムにはもう遊べないの?と聞かれ、ごめんね、と答えた。ジェームズからは、物分りの良い顔で元気でね、と言われ、握手をした。

そして最後に私はみんなの目を憚ることなく、カイにしがみついて号泣した。カイに引き止めて欲しいとか、慰めてほしいとか、そんなことではなく、涙と鼻水で醜かろうがなんだろうが、とにかく泣いた。こんなにも悲しい時さえも、カイは困ったような顔をしているだけで、カイはカイだった。

 

 

 

あれから十数年、つい先日、カイとコンタクトをとることができた。放置されたカイのfacebookアカウントを発見したのだ。やっと見つけた、とにかく連絡をくれ、と私の電話番号を送りつけた。

 

なかなか音沙汰がなく半ばあきらめて忘れていた頃に、カイから連絡があった。ちょうどその時私は旅に出ていて、外からの干渉を拒絶するためにほとんど丸一日携帯の電源を切っていた。だけどなんとなく夜中、ふと電源を入れた。その瞬間だった。

 

「カイ!カイ!カイ!カイ!」電話口で何度も連呼する私にカイはきっとまたあの表情をしていただろう。カイは東京にいて、私はその瞬間、海にいた。真っ黒な闇の瀬戸内海を見ながら1時間ほど、どうにかお互いの10年分の話をしようとしたのだけど、細かいエピソードはどうでもよかった。とにかく海は相変わらずの海だった。

 

カイは私にとっての海だったことにやっと気がついた。そういえば私は小さい頃からひとりで海を眺めることをして育ってきたのだった。どんな暮らしをしていて、どんなところに私がいても、海はちゃんとどこかに居てくれて、だいたい相変わらずだ。そんな当たり前のことが嬉しくて、頼もしかった。

 

どんなことがあろうと、10年間なにをしていようと「海だからしょうがないよ」と腹の底から笑えたことが、これら全てのことを物語っていると思う。