とるにたらないこと

できるだけ正直に、ありのままに書きます

かめさんのこと

もう一人、どうしてもここで語っておきたい友人がいる。

 

大学時代の同級生で、あだ名は「かめさん」。私は人より5年ほど遅れて大学に入ったため、同級生と言っても私より5歳年下になる。

 

私はかめさんのことを頼りにしていた。独りが耐え切れない夜、度々かめさんに電話をした。5つも年下の男の子に泣いて話を聞いてもらうなんて子どもじみていて、甘えたで、分別が無いことは重々自覚していたのだけど、彼にはそれを許してくれる軽やかな優しさがあった。彼は否定する言葉を持たず、誰のどんなことでも許容することができる性質だった。

 

寂しいことに、私がかめさんを頼りにしていたほどかめさんは私の事を頼りにはしてくれなかった。電話をかけるのはほとんど一方的に私からだったし、彼が電話に出ることは稀だった。彼には彼の世界があって、それは私には手の届かない場所にあった。だから、私はかめさんのことをあまりよく知らない。

 

 

カイとのことと同様に、私とかめさんの間には一切の恋愛感情も肉体的つながりも無かった。だからこそ彼の許容に存分に甘えさせてもらうことができたし、彼のつかみどころが無い軽やかさが好ましかったのだろう。

 

 

かめさんはよくゴダールについて語った。彼の口から発せられる映画にまつわる言葉のほとんどを私は理解することができなかったが、それでも興味深く、こんなにも彼が熱っぽく語るならいつかちゃんと見てみようと思った。それからかめさんはアンビエント音楽が好きで、彼自身もアーティストだった。大学にほど近いワンルームの下宿には山のようにDVDと音楽制作のための機材が積まれていた。彼はあの部屋でどれだけの夜をゴダールと音楽と共に過ごしたのだろう。

 

その夜に、一度だけ招待してもらったことがある。ゴダールのDVDを二人で見た後、酔っ払ってそこらへんで寝てしまった私のために、彼は静かで優しい音楽を作ってくれた。心地良い音に抱かれながら、ずっとこのまま、こうしていられたらどんなに幸せだろうと思った。

 

 

 

 

かめさんはマイペースに大学の課程を進め、私達同学年から半年遅れで、夏に卒業した。最後に朝までうちで飲み明かし、腹を抱えて笑った7月の夜以降、彼の消息はわからない。彼の心の在処は「僕の実家の部屋の窓からは、富士山が見えるんだ」と何度も眩しそうに語っていた静岡であったので、そこに還っていったんだろうと皆推測している。